伝搬

朝8時までゲームしてた・・・。頭が回らない。

 

黒沢清の『CURE』を10年ぶりとか?に再見。コロナの時代に見るとまたひどく新鮮。この伝搬していくさま、何が対処法として正解か分からない、ひたすら翻弄され、見たり触れたり聴いたりするとトリガーに手がかかる絶望感、というか最強感、これウイルスじゃんって思うよね。メスマーとかじゃなく。黒沢本いくつか持っているはずだから久々に読み返してみるかな、どんな気持ちでこんなもん作ってんだってのはこの人に限っては気になる。これと911を予言してしまったという『回路』とね。

 

イタリア語の発語のイントネーションにはまっているので、そろそろ手始めに『ゴッドファーザー』を見たい。まあ、ロッセリーニとかヴィスコンティとかフェリーニ見ればいいんだけどそこはあえてのゴッドファーザー

 

あとアプリで「土竜の唄」読んでる。まだまだ寒い4月のおわり。

 

緊急事態は続きそうなんだとか。あと1か月店を開けられなければまあばたばた倒れていくだろう。すでにそうなっているけれども。

ただ、経済が!といま叫んでいる人たちの中には少なからず、早く緊急事態宣言を!と叫んでいた人たちが含まれていると思うのだよね。そして、外出したひとに対して無慈悲なことばをなげかけていたんだよね、その人たちは。戦いは長期戦だぞと。ところが、欧州で主要各国が軒並み経済活動の再開を段階的に踏んでいくと発表したあたりから、「いつかは決断しないといけない」「ある程度のリスクは仕方あるまい」「いつ再開するんだ!」と叫んでいる。正気なんだろうけど、ひどい正気だ。

 

だから、休業させるなら補償をと一貫して言ってきているわけではないか。

 

今回改めて浮き彫りになったのは、生きるための必要最低限の補償を皆もらったとしても必要最低限というのは食べて寝ることだろうから、それをしていると、経済が死に、国が死ぬという意味では、その補償では絶対に生きていけないということだろう。つまるところ必要最低限というのは、食べて寝ることに加えて、別の何かに(相互に)消費をし、食べること寝るところの確保を(相互に)することができるようになるまでを指すのであってそこまで補償をしてくれるのであれば休むでしょうね。無理だろうから働くでしょうね。

 

全然はなしが変わるけど、主要な国のデータは大体拾えるんだけど、ヨーロッパの小国とかはどんなもんなんでしょうね。ルクセンブルクとかあとはあまり聞かないところではオランダとか。あと旧東側諸国はうまくやっているのだろうか。明日調べよう。