歴史と選択

向井秀徳ヴァージョンの「チェリー」を何度も聴いた。本当に気持ち悪くてすてき。政権支持者による安倍へのラブレターとして聴いたら非常に向井秀徳の毒がよく回ってきていい気持ちになれます。

 

土曜日でしたかね今日は。昼に起きて、だらだらしてコンビニへ荷物を出しに行き、森でインスタ用の写真を撮って夜ご飯をいただく。その後、だらだらしてだらだらしたおして今に至る。まずいな。

 

政治不信のメッセージが日本でもトレンドに上がるのは良いことだろう。維新が危険なのは当然だが、元希望の党の国民民主だってよくないわけで、そして元希望といえば、都知事もそうであるわけで、そのあたりがどこかに落としどころを勝手につけて、連立を組むに至らないまでも選挙協力でもしようものならこの先10年や20年の闇では済まないかもしれない。

 

有事に限って声が大きくなる人たちを信用してはいけない。政治的思考の基盤の弱すぎるこの国にていま強いリーダーシップを求めてはいけない。ドイツがどれだけの伝統のもとにメルケルを誕生させたか学び、日本との圧倒的な蓄積(戦後処理とその後の教育、もっといえば、帝国以前のドイツ語による思索の数々)の違いをまず認識するべきだ。そのドイツだって間違えばすぐに誤った指導者を選びうる。それが民主主義の限界だ。だが、個人としてはその日その日を正しい選択に歩むまでだ。