ウディ・アレン

友人にして後援者(?)のH・I氏におごってもらう上、ポイントカードのポイントまで頂く(新宿ピカデリー)。

日本未公開の、イワン・マクレガー、コリン・ファレル出演『Cassandra's Dream』(2007)は未見だが、もうウディ・アレンはニューヨークに戻らなくても良いという気がする。
これは今更驚くことでもないのかもしれないが、彼は1982年の『サマーナイト』以降一年も途絶えることなく毎年映画を公開し続けているのだ。その律義さを支えるものは、脚本家としてのアレンだろう。彼自身も監督としてはともかく脚本家として、あるいは英語を操るコメディアンとしての自分には自信を持っているのだろう。
基本的に彼は自分の容姿だって好きなんだと思う。しかし、さすがにイーストウッドなんかとは違って、70過ぎてラブシーンは画面的に無理とあって(昔はむしろ積極的にラブシーンを演じてきたのだが)、近年は出演を自粛するか、『タロットカード殺人事件』のように、若いスカーレット・ヨハンソンの保護者役に徹するか、ということになる。どうやら、彼は役者としての自分の役割は最早終わったと考えているのかもしれない。それなのに、自分が演じているときと同じようにコメディの脚本を書くものだから、妙な齟齬感を生むんだと思う。いかに脚本に自信を持っているとはいえ、例えばあのナレーションは、アレンの声調でしか成立しないということを自覚すべきだ。もっともナレーターのクリストファー・エヴァン・ウェルチのフィルモグラフィを見るとアレンの新作『Whatever Works』(2009)に出演もしているみたいなので、事に依るとアレンは彼を評価しているのかもしれないが、このナレーションに限っては彼の選択は間違いだと思う。
一方、この映画で一番面白いなと思った人物はレベッカ・ホールで、彼女はスカーレット・ヨハンソンとダブル主演といった役柄なのに、日本の宣伝広告からは不当にも徹底的に無視されていて気の毒だが(確かにネームバリューは他の役者に劣るが)、畢竟、一番良い雰囲気を醸し出していたのは彼女だと思う。どこかミア・ファローに似ていなくもないから、アレンの本当の好みはこの人なんじゃないのか。実際、近作の3本に出演したヨハンソンはこの映画では鮮やかな金髪とヴィヴィッドな服の色を画面に添えているという以上の存在感を感じさせない(この金髪はしかし効果的だが)。ぺネロぺ・クルスにしても定型の役を事も無げ熟しているというに過ぎない。しかし、このレベッカ・ホールときたら、別嬪なのかどうか判然としないけど、何となくロメール映画のさり気ないヒロインたちを思わせて実にいい味を出しているのだ。始終よろめいていたのに最後は、「あなたたちってどうかしてるわっ!つきあってらんないわ」などと言って映画全体に一応の喝をいれるし。
それにしても、私はスペインのどの都市にも行ったことないが、きっとスペインって、全然あんなところじゃあないんだろうなと思わせてしまうほどに、アレンのロケーションに対する視線は適当で、彼が世界各国で、カメレオンマン的に色合いだけ変えて、あとは同じような方法で、適当に撮ったら、ロメールの「四季の物語」に次ぐ、かなり興味深い映画群が出来上がるような気がして一寸わくわくする。実際、彼がこのノリで、東京を舞台に映画を作ったら、結構ナンセンスで笑えるものができそうだ。