CLEAN


『CLEAN』は、透き通ったスープのようにあっさりしていて、そのあっさり加減がまた絶妙で、感動した。アサイヤスは、演出においても脚本においても陳腐にならないぎりぎりのところで遊泳する術をしっかり心得ている(動物園のシーンはちょっとぎりぎりすぎる気もするが)。エリック・ゴーティエによる撮影の貢献度も高く、特にマギー・チャンを執拗に、しかも的確に追うときのカメラ(キャメラ)の早さが素晴らしい。例えば、会う予定だった息子に会えないことを知ったチャンが、席を立って階段を駆け降り、泣きながら走り去って行くところ。オレンジの帽子が美しい。あと、やっぱり手のアップが気になる。皆、絶えず何かを持っている印象。それから、ニック・ノルティのぎりぎり抑えた演技をはじめ、誰も取り乱さないところがひどく良い。ぎりぎりの映画。

初期ワイズマンを2本。今まで見た一番古いワイズマンは75年の『福祉』だったと思うが、明らかに、それ以降と以前とでは何かが違う。今日の2本は結構、劇映画風の可愛げがあるようなつくりだが、主題とかメッセージ性というか作り手の主体的な社会性みたいなものを、わりと強く感じさせる。ワイズマンも若かったということだろうか。『エッセネ派』は今まで見たワイズマンの中で一番劇映画っぽい(礼拝堂のカメラワークとか、食事シーンのカッティングのリズムとか)。70年代後半以降の映画群に至るまでに大きな方法論的な転換は見られないが、電話や、会議といったワイズマンの特徴的な主題が、発展的に膨らんでいくとともに、カッティンのリズムや、視点の重層性が増して、より豊かになっていったのだと思う(同時に上映時間も然るべき長さに膨らむ)。ワイズマンは変化はしていなくとも、進化はしているのだ。