ニコラス・T・プロフェレスまたはニック・プロファーズ

最近『突然の訪問者 (The Visitors) 』(1972)の検索ワードがやたらと多い。というのは恐らく今日午前9時40分からWOWOWで放映されるからだろうと思う。

本作の監督であるエリア・カザン自身が「ヴェトナム戦争が故国の人々に及ぼした影響を扱った最初の映画をつくった」と述懐するこの意欲的な映画の短い解説とストーリーはWOWOWのページに書いてある(http://www.wowow.co.jp/pg/detail/018745001/index.php)が、ここに書いていない情報で私が知っていることのひとつは、この映画の撮影がニコラス・T・プロフェレス(またはプロファーズ、エリア・カザンの自伝中ではニック・プロファーズ)の手に寄るもので、このプロファーズという人物は、カザンの2番目の妻である映画作家バーバラ・ローデンが監督した『ワンダ』の撮影、編集も手掛けているということだ。低予算のインディペンデント映画に相応しい、ふところ事情の厳しい中でのスタッフワークといえばそれまでだが、『ワンダ』の撮影・編集と『突然の訪問者』の撮影・編集を手掛けた人物が同じ人物であるということは、むしろ『ワンダ』の理解に欠かせない事実だと思う。というのも、ふたたびカザンの自伝に依るならば、ローデンとプロファーズは「ぴったり息があった」のであり『ワンダ』を「二人は共同で監督した」とまで書かれているからだ(ローデンが演技指導、プロファーズが撮影に関する指示を担当)。手元にはカザンの自伝しか資料がないので、カザンのフィルターがかかった記述でしかないが、ある意味、カザンの目から見た「二人」の記述はそれ自体かなり興味深い。プロファーズがカザンの自伝に登場するのは下巻の400ページも過ぎた頃から、つまりバーバラ・ローデンが『ワンダ』と共に生きた死に至る10年間にとっての重要人物としてプロファーズは登場するのであり、それはつまりカザンにとってプロファーズはローデンの記憶と分かちがたく結びついているということの証左ではないか。
カザンの自伝でプロファーズの名前が最後に登場するのは、ローデンの死後、カザンがひとりで彼女の遺品を整理しているところである。故人の遺品のなかからカザンがみつけた、プロファーズのローデンへ宛てた手紙には、彼がローデンを拒絶する旨が書かれていたということである。既にカザンとの夫婦としての関係は事実上破たんしていたローデンはプロファーズに仕事の関係以上の関係を公にすることを望み、その胸の内を彼に伝えたのではないかとカザンは推測する。愛を求めた元妻と、拒絶の手紙が彼女の部屋から見つかったということを書きつつ、「主題、趣味、技術に関して、二人は完全に同調していた」と念を押すカザンの記述は些かドラマチックに過ぎるきらいもあるが、それもこれもプロファーズが、カザンとローデン夫妻にとっての「突然の訪問者」であったことを強く意識していたからではないか。

1980年にこの世を去ったローデンに遅れること23年、2003年にカザンも死去、2人が亡くなったのは共に9月だった。IMDbによるとプロファーズは2009年制作の『Handsome Harry』という作品に脚本家としてクレジットされているから、3人のうちただ1人健在のようである。

エリア・カザン自伝〈下〉

エリア・カザン自伝〈下〉

文中の引用は全部こちらから


バーバラ・ローデンの短編。この映画の撮影と編集もプロファーズ。


なんと今、『ワンダ』もYouTubeで見られちゃうんですね