こようとは

8は土曜日か。ということは7は金曜日だったんだ。休みのはずだけどなにかしたのかなあ。

 

んで土曜日。きついね。お盆のスタートとかでもう、どこにも行けない人たちがとりあえず来るよね、吉祥寺。

 

えっと、どうしよう、ほんとに何もない気がする。しいていうなら、店舗内ならどこの責任者やってもよいよ券を得られたことでしょうか。これはまた悩む事態ではあるのですがねえ。

 

死ぬほど暑くてもチャリが売れる歳がこようとは。

 

今日とて

仕事。まあある意味仕事中がいちばん楽。疲れるけど。あと休憩で寝ても眠気が取れなくなってきている。年に何度かそういうことがあるけど、前より頻繁になってきている気がする。そもそも5年前はここまで必ず寝るって必要もなかった。

 

レバノンの爆発の映像をはじめて見たが、あれはたしかに凄まじい。911を思い起こすに十分な、映画への勝利宣言。亡くなられた方、ケガをされた方、家を失った方が相当数いるとのことなのに、カルロス・ゴーンを匿ったレバノンに援助など必要ないという、荒唐無稽すぎる論調が不通に幅をきかせているネット社会の闇は深い。

 

今日のツイッターのトレンドはイソジン吉村が独占しておった。本人はタイミング的にはネタにできんだろうし、結構効いたかもね。でもああいうろくでもない手合への攻撃すらいまは鬱陶しく思えてしまう。というより攻撃の仕方を間違えている。そこで茶化したらだめだ。やるなら徹底的に叩きつぶせ。あの人は明らかに日本の政治の害毒なのだから。

 

イザベル・ヴェンガルテンが死んだ。ブレッソンの『白夜』は、映画の秘蹟みたいなものをわたしにそっと教えてくれた、人生の1本であり、その中心には当然ながらこの人がいた。中心にいながら中心などないもののように振舞っていた。横暴で残酷で無邪気だった。つまるところ気高く、同じように弱弱しかった。ブレッソンの美のひとつであろう。安らかに。

無駄

そして朝の9時半に父親にたたき起こされて、携帯の操作が分からないと。こっち寝てるんですけど。そのままそれ以上眠れず。それでも行くぞと着替えて、あと2分ってところで鏡を見たら、自分の顔が自分の顔でないように見えて、かなしくなって着替えなおして寝た。

 

ゲームはアンインストールして漫画もアプリは減らそうか。

 

イライラする。実家にいても職場にいても一人でいても誰かといても。虚しさがつのる。ここが限界点なのか。これ以上行くところってないのか。眠気に疲れ、頭痛に悩まされ、不安に苛まれ、薬と菓子ばかりを食べ、惰眠をむさぼる。これが20年前に思い描いていた未来か。あの頃、未来は見えなかった。サラリーマンにだけは絶対になるものかと、頭もいいし、人からも好かれる、何をやってもまあまあできる。その中途半端さに甘えた結果できあがる人間がこれか。

 

 

題名なし

3日。月曜。

 

仕事に疲れ果て、久々に寝過ごして終着駅まで行ってしまった。前に一度やってしまったときは終電で、結局多摩湖を歩いて帰ったなあ。今回はUターンするだけだったのでよし。

 

病院に行き頭痛薬等々を買う。諸々で4000円ほど。定期券が13180円。これはカードで買う。一応のチャージを1000円。昼におにぎりとパン、250円ほど。それとは別に飲み物を買う。それが100円から150円ほど。疲れていたら、帰り際に駅のコンビニでチョコレートかグミかアイスを買う。これも150円前後。

 

帰って、明日は久々の休みという気がしたのだが、ドイグに行くぞと強く念じていたのに、朝の5時までゲームをやってしまった。だが、寝た。

題名なし

 2日は日曜?これを書いているのは火曜の夜中。

 

1700人の客数というからようやく客足も少しだけ落ち着き、300人ほど減った。それだけでだいぶん楽。予算はそれでも取れている。衣料品が苦戦している。昨比が取れているのはどういうわけなのか。自転車は好調を維持。

 

教会にはずっと行けていない。オンラインの礼拝すら見られていない。心が死んでいく。