夜の人々

仮にアンソニー・マンの主人公が怒りの人々だとしたならば、あるいはダグラス・サークの主人公を指して一先ず、悲しみの人々と言えるならば、ニコラス・レイの主人公は紛れもなく孤独の人々であり、これらのそれぞれ魅力的な主人公像の内、どれに最も惹かれるかと言えば、涙を呑んで、いや、涙を流して、孤独の人々と呟きたい。孤独の主人公、キーチ(キャシー・オドネル)とボウイ(ファーリー・グレンジャー)は、孤独だからこそ、優しい。



一緒にどこかへ行かないか、お金はあるんだ、と言っても眉間に皴を寄せて、取り合わないキーチだが、ボウイが、「きみのために時計を買ったんだ、いる?」と聞くと、途端に目を輝かして「わたしに贈りたいの?」と言う。ボウイが「そうだよ」と答えるとキーチは「それなら、いるわ、欲しいわ」と幸福の笑みを浮かべる。しかし彼等は優しいからこそ転落していく。キーチは、将来の希望を語るボウイの前にそっと新聞を差し出して、彼が、現場に残した拳銃の指紋から、既に追われる身となっていることを知らせる。すべてを知っているキーチは、それでも「あなたが望むなら、わたしあなたと行くわ」と言う。幸福を画面いっぱいに漲らせてボウイが「今何時か分かる?」と聞くと、この映画の二番目に美しいクロースアップで、キーチは、「素敵な時計だわ」と答える。一番美しいクロースアップを見るには、映画の一番最後のショットまで待たねばならないが、そのとき優しさに包まれたすべての人間はキーチの顔を見ることはできないだろう。
今にもロー・キーのライトからすっとはずれて、闇に呑まれてしまいそうな彼等だが、孤独なのはしかし、この若い恋人たちだけではない。犯罪を犯して、逃げる銀行強盗の行く末を、我々は、ヘリコプターから撮影された、誰の主観ともつかない全知の視点で見据えなくてはならない。観客は彼らの束縛に加担することを強いられる(刑務所破りをして、警察を撒いてもこの全能の視線は付き纏う)。孤独の犯罪者たちが、強盗に成功して、乗り捨てた車に火を放つとき、彼等は孤独だからこそ、ささやかな喜びを共有できる。
ボウイ&キーチが孤独の中にも二人の幸福を見出したとき、それを許さないかつての仲間が、ボウイを再び銀行強盗に誘うのは彼らが孤独だからだ。結局、彼等は決定的に行き違い、脅迫と裏切りを経て、孤独の人々にふさわしい結末を迎えることとなる。そしてあの信じがたく美しいクロースアップがキーチから徐々に光を取り去って、ニコラス・レイの奇跡的な処女作は幕を閉じる。


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