チャップリン、崑、フォード乱れ咲き

  • 『古都』 市川崑 1980年 |****|

チャップリンが、67年に、天井のない(であろう)セットへの出入りだけで映画を進行させている様が、ただただ感動的。100回くらいはドアが開いたりしまったりしたのではなかろうか(100回というのは誇張でも、少なくともその半数くらいはしていたと思う)。ソフィア・ローレンとマーロン・ブランドーにそれぞれかつてのチャップリン自身を思わせる役柄を演じさせ、それでも、身体がむずむずして、2回も登場してしまったに違いないチャップリンが、さっ、とドアを開けて、カメラの前に自らの白髪をさらしてしまうのだから、これはもう感動せずにはいられない。彼はカメラのあちら側でどんな顔してマーロン・ブランドーの船酔いギャグを撮っていたのだろうか。幽霊のようにインポーズされるエンドロールに、『街の灯』の完璧なラストショットとの距離を感じさせて、複雑な感動を呼ぶ。遺作です。

シッピング・ニュース』 まあ悪くないんだけど、別にもう一度見たいとは思わない。最近、ジュリアン・ムーアが多いな。関係ないけど、この人ゴダールと同じ誕生日なのね。1960年生まれだから、ちょうど30年若い。もう50前なのか。『フォーガットン』を見たい。


『古都』 今日一番の掘り出し物。これは傑作。80年代の市川崑が大真面目に撮っている文芸物なんてつまらんでしょうと、高を括っていたのは、大きな間違いでした。どうもこの方は、積極的に褒めたくなれない監督なのだが、彼の膨大なフィルモグラフィーに対して何らかの研究がなされなくてはならないのではないかと思ってアマゾンを見てみたら、色々本は出ているのね。しかしあまり読む気にはならんなあ、なぜか。
一人二役山口百恵が、実に良い。一人二役という映画的な装置には、色々タイプがあると思うのだが、例えば、『赤西蠣太』の片岡千恵蔵のように、同じ役者がやるのに、姿形が全く違うという面白さ、これはちょっとジキルとハイド的な面白さ。他にも、『暗い鏡』のオリヴィア・デ・ハヴィランドみたいに、瓜二つの姉妹なんだけど、正確が真逆というパターン。ところが、この山口百恵は、そっくりな上、性格までそっくりというタイプ。それでいて、凄いことに、こんな二人を、山口百恵が、色の違う着物を着分けただけでさらっと、しかも情感たっぷりに演じて見せるのだ。ひどく似ているんだけど、やっぱりこの人たち別人なんじゃあないのと、信じ込まされてしまう。この一人二役の、画面内での配置は、崑監督、ほぼ完璧だと思う。二人の山口百恵の、密会とも言える艶かしいシーンで「この世界に人間がいなくなったらどんなだろうと時々思うの」という台詞のあと、ざわざわっと、杉の林のロングを挿入するつなぎ、どどど、と夕立を降らせて、二人の身体を重ねて濡らしてしまう演出など、見事としか言いようがない。
一人二役の背中の映画史というのがあると思う。同一人物でなくてはならない二人を同一ショットで抱擁させるために、背中で、別人を演じなくてはならない、顔のない人たちの映画史。

駅馬車』は昔なんとなく見たときよりも100倍は面白かった。