Shutter Island/The Hurt Locker

スコセッシの新作を見に映画館に駆けつけたのは初めてです。それどころか、スコセッシの映画、フィルムで見たの初めてです。
ディカプリオ効果もあんまりないのか、350席ある大スクリーン(地元シネコンの一番でかいスクリーン)なのに数えたところ観客15人しかいなかった。封切ったばっかりなのにね。まあ、働いてたら月曜の朝9時から映画館来れる人もそんなにいないだろうけど、やっぱり寂しいもんです。ディカプリオはしかし眉間の皺がほんと際立ってきたなあ。このまま神経質路線で行くんだろうか。

ヒッチコックを思わせずにおかない「ラストを他言しないで下さい」という冒頭の何とも鬱陶しい字幕から(その前に「シャッターアイランドを今からご覧になる皆さま」に向けて、「人間の脳は、云々〜」ってする画面があって、凄いむかついていたので尚更鬱陶しく感じられる」)、一転、目も眩むような真っ白の画面にぱっと移ると、その画面の正面からするっと船が現れることによってそれが深い霧であることがわかるという出だしが良い。場面はすぐに変わって、ディカプリオは船内で具合悪そう。鏡に映る自分の顔を不機嫌そうに眺めることにかけてはディカプリオほど手慣れた人はいないような気がする。船外に出て同僚と名乗る男(マーク・ラファロ)に煙草をもらって、並んで話すところでの不穏な背景(スクリーン・プロセス?)もまたヒッチコック的だが、これが悪くない。そこで死んだ妻(ミシェル・ウィリアムズ!)の話なんかしてると、島に着く。着くと「嵐が来るから」って言って船はさっさと帰ってしまう。この、なんか今まで色んなところで見てる気のする展開も結構良いんだよなあ(音楽も助けているでしょう)。精神病院に着くとまあ絵に書いたような怪しげな看守とか怪しげな医者が出てきて、失踪したという女についての調査を開始する。

謎解きものっていうのは、あんまり興味がないんだけど、というのも、私は本当に勘が悪く(というよりも頭が悪いのか)、読みが当たったためしがないし、外しても別に、どうとも思わないんだけど、少なくとも謎を解くことのカタルシスというものを味わったことがないわけですが、この映画でも、どうも、というかどう考えてもオチはああなんだろうなあというのは開始からすぐ分かるわけで、でも勘が悪い私のことだから、きっと全然違う結末なんだろうと思ったら、どうも勘が当たってしまって、私のような人にあてられてしまうような映画をミステリー目当てで見に行ったような人が満足するわけもなく、巷の評価も微妙な感じなんだと思うけど、でもこの映画全然悪くない。というのも、この映画そもそも謎解きであることを早々にやめていて、どちらかというとホラーにすら近いんだけど、精神病院の患者が紙になにか殴り書きをして渡したら、それに「RUN(逃げろ)」って書かれていたり、墓場で嵐が凄い音立てて迫って来て礼拝堂みたいなところに逃げ込み、ダッハウ強制収容所の話を始めたりってところの描写はかなり怖い。
ラストの30分は、なんだかなあと、不可解でしょうがないんだけど、というのも、1950年代の刑事で、ああいう服装をしていて、で、精神病院で、って映画史的には色々思い出すことはあるし、映画狂のスコセッシがこのきな臭い感じを愛しているっていうこともあるだろうし、どうしても『ショック集団』辺りを思い出してしまうが、でもスコセッシみたいにキャリアを重ねてきている人がただそれだけで新作を撮るかなあ、とか訝しがってしまうわけだけど、そこのところの「謎解き」はぜひ誰かにやってもらいたいもんだと丸投げして、ひさしぶりの映画館を楽しんだのでした。でも、あの役、ディカプリオじゃ、まずいんじゃないか。物語の大筋ではなくて細部を楽しみましょうということなんだったら、主人公だって重要な細部なわけで、そしたらやっぱり、マッチの顔に浮かびあがって様になるスターの顔を持った人がこの映画には必要だと思う。だって、あの眉間の皺じゃあ。(といって、ディカプリオは全然嫌いじゃないんだけども)


麻薬のような中毒性が戦場にはあるというけれど、その中毒を生きなくてはならない複数の(不特定多数の)兵士たちの物語というよりも、一人の特異な兵士(ジェレミー・レナー)の物語という印象。だから、政治的にどうこうっていう印象はあんまりない(私が鈍感なだけかもしれませんが)。この爆弾処理のエキスパートは、戦場では重宝されてその勇気を賞賛されたりするけれど、家庭に戻れば、家族との関係はちぐはぐで、戦場の話をしてもそれが通じるはずもなく、スーパーマーケットではシリアルを買うのに、その種類の多さに面食らったりしている。まあこういう描写は良くあるけれど、この感じは「エリア88」を思い出させる。


これが反戦というよりはむしろ戦意高揚映画だとか、そういうことは差し置いて、アメリカの砂漠ではなくて、ヨルダンで撮ったという、この微妙な「リアリティ」が気になってしょうがない。ヨルダンで得られるイラクの臨場感って何だろう。絶えず揺れている所謂「疑似ドキュメンタリー」の手法で撮られた撮影が、決定的な爆発シーンでは、しっかり真正面から捉えられ、しかもそれに超スローモーションがかかって画面を「綺麗に」見せるその不自然すぎる「リアリティ」に対する姿勢と、どう折り合いをつけようと思って撮ったんだろうか。脇役で、顔の良く知られたレイフ・ファインズデヴィッド・モースらが出ているのも腑に落ちない。

でも主要登場人物の三人の関係が結構面白い。冒頭で死ぬ爆発物処理班のリーダーの後任に処理の超一流である主人公(ジェレミー・レナー)がやってきて、英雄的な活躍を見せるけど、前任のリーダーとは違ってすごいワンマンプレイ。それが気に食わない、同じチームの黒人軍曹(アンソニー・マッキー)が、事故ということにしてあいつを殺っちまうか?と、まんざら冗談でもなさそうに、同じチームの技術兵(ブライアン・ジェラティ)に相談するところなど興味深い。しかも技術兵は、むしろ主人公のことをワンマンだが頼れる班長じゃんってくらいに思っているらしいが、自分が負傷して帰還するときは主人公を罵倒して還って行くという、何ともちぐはぐな人間関係が真に迫っている。罵倒された主人公に、黒人はむしろ同情的な視線を向けるが、結局最後まで二人の間もちぐはぐで、二人は理解しあうことはない。(そんな微妙な関係の3人が、荒野で狙撃されたときチームプレイを見せる緊迫したシーンがこの映画の白眉か)
 あとこの映画で気になったのは、主人公と爆弾とのある種のフェティッシュな関係(と言えるのか?)。主人公は、ベッドの下に、今までに処理してきた爆弾の部品をコレクションしている。勲章とは無縁なところで精神の均衡を保とうとする人はこういうことをするのかしらんと、妙に気になった。それと、この映画にはサッカーが好きでベッカムという名前の現地の子供が出てくるが、この子供は海賊版DVDを売る。イラクの子供は窮してDVDを売るのか、と何か引っかかった。ジャ・ジャンクーの映画でも道で海賊版ソフトが売られていたことを思い出した。それから、映画が始まる前に流される、「劇場で映画を撮るのは犯罪です」っていう例の映画泥棒撲滅キャンペーンみたいのを思い出した。イラクの子供は『ハート・ロッカー』の海賊盤も売ることになるんだろうか。