ニュートンとかケプラーとかって人たちがみんなタコみたいにバカだったとしても(最近のタコは勘がいいらしいが)、あるいはそれ以後、遅かれ早かれ現れたであろう代役の科学者たちがこぞってタコのようだったとしても、この1959年の映画の出現によって、すべての人間が(やはりタコのようにバカだったとしても)、否が応でも引力というものを直感せざるを得ないであろうラストシーンの空中戦に、痺れることしきり。

ショットとシーンと、次のシーンとの天衣無縫な成り立ち(編集と語りの方法)については、ヌーヴェルヴァーグの映画10本見るより、これ1本見るほうがよほど映画というものに近づくことができるのではないでしょうか。

ボヴァリー夫人のようだ。突然炎のごとく回転する、脈動する、乱舞するカメラにうろたえもせず、キスと涙と暴飲とで応酬する人間たちの、愛なのか単に欲望なのか判然としないが故に真実らしい立ち居振る舞いの眩しさに、嫉妬の火傷を負いそうです。



わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

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