サボり気味ですみません、あとで更新します。

(9/11 更新)

というわけで、2か月余りも遅れて更新。

『動物園』

フロリダ州、マイアミのMetrozooという動物園を撮ったフレデリック・ワイズマンの長編26作目。開巻、ライオン、シマウマ、カバ、ワシ、キリン、ダチョウなどが出迎えてくれるが、突如サーカスめいたゾウのショーが始まり、これが動物の営みを描く映画ではなくどこまでもヒトの営みを見つめる、いつものワイズマンの映画であることに当り前のように気付かせる。広大な敷地にはモノレールが走っている。動物園のなかに、子供のための遊戯施設があり、なぜか散髪もできる。「深海の怪物展」が催されている展示場では、仕切られていないだだっ広い部屋に、いかにも凶悪そうなサメや厳つい巨大生物の模型が、ぎこちなく出迎えてくれる。

この映画は、残酷さについて、あるいは観察するということについて、解剖するということについて、輸入するということについて鋭く示唆してくれる倫理=ルールの映画だ。サイの出産が死産に終わると、原因解明のために解剖せねばならない。処理が終わるとそれは焼却炉に投げ込まれる(サイの出産は結局死産に終わるが、その死産がこの映画の通奏低音になっているかのようだ。死んだ犀の子は早速はらわたを割かれ、その死の原因が調べ上げられる。この映画が、何より生命について考えさせる映画であることを知らせてくれる過酷なシーンだ)。ライオンに餌をやるには正しい手順で檻の扉を開閉せねばならない。カニやひよこやウサギが殺され、餌として与えられるシーンでは、食べるものと食べられるものの非情を伝えてくれる。シカを飼育する柵を越えられると野犬に侵入され、シカは殺されてしまう(襲われた動物たちと犯人をめぐるサスペンスの素晴らしさ!)。野犬は野放しにしてはならない、必ず仕留めて、焼却せねばならない。あの死産に終わったサイの死体を焼却した同じ機械によってである。ほかならぬヒトの社会においてこれと似たことが起こっていることは言うまでもない。終着点が焼却炉=火であることをも含めて、である。

インドネシア政府とのコモド・ドラゴン輸入の取引に、ゴリラとの交換条件が出されたと語る辺りに、スーツ姿のヒトの生態を見ることができるが、このような会議シーンはワイズマン映画ではお馴染みである。最後のシーンは動物園主催の晩さん会で、着飾ったヒトたちはそこで、ホワイトタイガーを眺めながら肉をがつがつ食う。

ワイズマンのDVDはZipporah Filmsで購入することができる。注文したことはないが、たぶん日本にも発送してくれると思う。→http://www.zipporah.com/