見ず知らずの人間の愚痴など実につまらないとは思うのですが・・

久しぶりに8時台に起きる。3日前くらいから楽しみにしていた『レイチェルの結婚』を見に行くためだ。朝一番は、1200円で見られるので(これは、わたしにはやはり決して安くはない金額ではあるのだが)、10時45分の回を見ることにしていたのだ。ところが、朝、ちょいと時間があったので、昨日の夜ぼんやり見直していた『大人は判ってくれない』を終りまで見る。するとやや眠くなってきたので、映画館で寝るのは避けねばならないと、20分ばかり寝ようと思ったのが間違いだった。結局2時間も眠り込んでしまい、もちろんジョナサン・デミの新作には間に合わず、さらに、寝すぎで激しい頭痛に襲われて、自己嫌悪をつのらせる。何とかしなくては、と先日購入した中原昌也の作業日誌を何気なく読み進めると、また何とも言えない気持ちになる。テレビをつけると、各局「キング・オブ・ポップマイケル・ジャクソンの特集番組をやっている。一様に真剣そうな顔で当たり障りのない常套句を連発するコメンテーターらに、ほとほとうんざりする。
頭痛がひどいので何もする気がおきず、夜の7時まで寝る。起きて、ぼんやり成瀬巳喜男の『杏っ子』を見る。ただでさえ暗鬱とした気分だったのに、さらに鬱々とする。成瀬巳喜男の映画は、『妻として女として』みたいな何とも陰湿な映画さえ大好きなのだが、これだけは、もうただただ嫌な気分になるばかりだった。いつかしっかり見直そうとは思う。
その後、ぼんやりと、夏目漱石の『坊ちゃん』やら(中原昌也漱石の似ていること)、阿部和重の映画論集やらを眺める。

大人は判ってくれない』のドワネル少年と全く同じように、親の帰宅のドア音を確かめたり、見ている映画を止め(昨日はまさに『大人は判ってくれない』だった!)食事のセッティングなどをする自分の姿に気付いて愕然とした。やはり家は出なくてはならないし、仕事はせねばならない、と真に思った。

レイチェルの結婚』はうちの近くのシネコンでは今日までであった。夜の回は1800円なので、さすがにきついので結局行かなかった。2本立てに期待する他ない。ああ意気地がない。あと4時間は眠れないだろうから、アステアとロジャースの映画でも見ようかなあ。

その顔を見るだけで涙誘われる人が何人かいる。フレッド・アステアがその一人(一番はたぶんジェームズ・キャグニー)。ランドルフ・スコット(1898年生まれ)が、「シスコの女をひっかけにいかないか」とか言っているのが笑える。わたしには、彼はバッド・ベティカーの西部劇の印象が強いのだが、エキストラ時代を入れると20年代から映画に出ているのだ。