11/4(水)に法政大学で『ジョン・フォード サイレント映画特集』というのをやるそうです。数日前に送られて来ていた法政からのメールが何故か迷惑メールに分類されていたのを今日たまたま運よく発見したので、情報を逃さないですみました。詳しくはコチラ→http://www.geocities.jp/eidankyo_2006/

『卍』は笑ってしまう。若尾文子はじめ、出演者に、市川崑映画のブラックコメディのような毒気がないのが良い。違った意味での毒気というか異常さがあるけど。


『NOVO』、何これ・・って、軽蔑しそうになるシーンと、ものすごい美しいショットが平然と同居してる。たぶん、変なシーンは脚本と音楽のせいで、良いショットは撮影のジュリアン・イルシュのおかげで、同居は監督の趣味だと思う。嫌いになるかくせになるか。


フィリベールの中短編を3作。登山家クリストフ・プロフィのドキュメンタリー。この人の映画には、『動物、動物たち』で、動物をはく製にする道具がずらっと壁に掛っているショットがあったり、『行け、ラペビー』で、走る自転車の影のみを並走しながら撮るショットがあったり、人間を目の前にして、あえて人間から外れて、美的なショットを撮ろうとする欲望があるのか、『クリストフ』という題名の映画でも、クリストフを撮ってはいるんだけど、抽象絵画の一要素として、あくまで、絶壁と一緒くたにして彼を捉えているような印象のショットがかなりある。それならそれで良いのに、何故か登頂の間に遠目からのヘリコプター撮影が何度も挿入されたり、頂上でもぐるぐる回ったりする絵画的とも映画的とも言い難いようなショットが結構入っていて、そういうものは単に邪魔で、どうしても受け入れられない。絵画的という意味では、クリストフのスーパーマン色の登山衣装や、ヘリから撮ったショットでも、真上から見下ろすショット、映画的には(映画的という言葉は極力使わない方が良いとは思うが)頂上付近を横移動するショットは良いと思う。それから、音楽の使い方も感心できないが、ヘリが被写体として初めて登場したところで、今まで弦楽器だけだった音楽にコーラスが入るところは、異様な時空間の広がりが感じられて、すごい良いと思う。息切れの音を被せる演出も悪くない。


登山についての2作中で、クリストフ氏のやっていることはものすごい偉業なのだろうけど、その凄さがどれほどのものなのかというリアリティが伝わりにくいのが難。フィリベールもそれを自覚してか、特に『たった一人のトリロジー』では、説明的な台詞をたくさん取り入れている。さらに、わざわざカメラを担いだテレビクルーまで登場する。これは、ちょっと苦しい、テレビ的なリアリティだなあという気がする。山の険しさも危険性も画面に出てこない(テレビの画面で見ているからあまりえらそうなことは言えないが)。落ちる心配も、まあ、ないし。画面サイズがスタンダードだったらもう少し、縦の運動がよく出たのかもしれない。


上2作に比べて、『カマンベールの北壁』という短編は、とても愛らしい。サングラスにスタッフ、キャストの名前を直接書いて、見せるタイトルバック(?)からしてかわいい。クリストフ氏がある映画のスタントとして、ビルの壁をよじ登るシーンを撮った映画製作のドキュメンタリーなのだが、こちらのほうが、雪山の断崖絶壁を登っている画面よりもよほどハラハラする。リアリティの問題なんだろうか。イラクでの爆発や銃撃よりニューヨークのビルが倒れた方がよほど現実感覚が湧くというような。


ただ、この映画でも、登る彼を真横から撮って、背後の風景との位置関係を気にするような、そういうショットがあって、それはいらないと思う。