ベロッキオなど

  • 『一万の太陽 (Tízezer nap) 』 コーシャ・フェレンツ 1965/HU/110min |b+

おとといは5時間しか寝なかったので、きのうは10時間寝る。10時間寝たのに、『一万の太陽』で何分か寝てしまった。固定の長回しより、どうも横移動や早めのカッティングに弱いような気がしている。

マルコ・ベロッキオの長編第一作『ポケットの中の握り拳』は噂に違わぬ傑作だった。フィルムで、日本語字幕付きで見られて本当に良かった。26歳でこんなものが撮れてしまうなんて、天才というのは、やっぱり凡人の理解を超えているなあ、おお悲し。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』も26歳だっけ、さめざめ。


盲目の母親と、見かけはしっかり者の兄と、兄弟に対する挙動がかなりきわどい妹(パオラ・ピタゴーラ)、知的障害の弟との狭間で息絶え絶えの青春を生きる主人公アレサンドロ(ルー・カステル)。妹に対するこれまたきわどい(近親相姦的な)想いを抱いているらしいアレサンドロは、兄ともウマが合わない。母親の世話に苛立ち、弟の世話に苛立ち、自身も薬(精神安定剤?癲癇の薬?)を服用している。そんなこんなの生活で、主人公は運転免許を取得せんと試験を受けるが、方向指示器を出し忘れて落第する。けれども落ちた事は兄に隠して、いつもは兄の運転で、一家揃って出かける父親の墓参りへの運転を申し出る。兄は家で恋人とごろごろしたいので、それを承諾する。ところが兄が行かないので妹も行かないと言う。妹が行かないなら運転しないと、アレサンドロ。結局兄に頼んで妹を説得し、母親と末の弟を後部座席に乗せて4人で出発する。兄は一向を見送るとアレサンドロが残していったテーブルの置手紙を読む。そこには、鬱積した精神を宿した主人公の、悲惨な計画が綴られていた。そして車は速度を上げて崖沿いを走る。

という物語からして強烈な映画。音楽はエンニオ・モリコーネ


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『一万の太陽』は途中少し寝ちゃった上に、寝てないときも何故か終始眠かったから、なんとも言えないんだけど、30年代から60年代までの30年間のハンガリーの歴史とその渦中を生きる何人かの登場人物を見つめて行くという映画。一万の太陽ってのはつまり一万日=30年ってことですかね。主人公夫婦の出会いとか子供の逆立ちとか、その子供が大きくなったりとか、土地を取り上げられたりとか、目の前で起こった殺人事件を傍観して、投獄されて、繋がれて労働しているところに妻がやって来て、静かに一家の近況を話したりっていう様子が、決して激しさを前面に出さずに語られてゆく。途中記憶がないのが残念です。
この映画でコーシャ・フェレンツは1967年のカンヌで監督賞を取っている。フェレンツは37年生まれのハンガリーの映画監督で、まだ生きてるけど88年の『A másik ember』という219分の大作を最後に撮っていない。88年というのは如何にもいわくありげだと思い調べたら、89年の体制転換の際、政治的に活躍して(ヨーロッパ・ピクニック計画の指導者ですって)、その後、国会議員になったんだとか(詳しい情報:http://yoknapatofa.blogspot.com/)。去年の11月には東大で講演をしている。