ダルデンヌ スコラ ワイズ オルミ

  • 『ジェラシー (UNA DRAMMA DELLA GELOSIA)』 エットーレ・スコラ イタリア 1970年 (104分) |****|

ダルデンヌ兄弟を2本。何かを物語るならば、最後まできちっとやってほしい。希望を匂わすような、余韻を残すような、あとは皆さんが自由に想像して下さいという、押し付けがましい終わり方が、傲慢に思えてならない、が、これは好みの問題か。しかし、彼らの無音のエンドロールは、例えば、黒沢清の『トウキョウソナタ』のラストでの、あのガチャガチャ音のする黒画面と比べると決定的に真摯さが欠如している気がしてならない。『息子のまなざし』は、とはいえ、悪くないかもと思って見ていたら、肝心のラストでの逃亡と追跡が驚くほど凡庸だったので
がっかりした。そして、きっとここらでぱっと、エンドロールになるんだろうな、と思ったところで案の定・・。

どうやら、恋人を殺したらしいマルチェロ・マストロヤンニが、事件現場でその出来事を再現するところから、過去へと遡って始まる『ジェラシー』は、出鱈目だがむしろよっぽど真摯な映画だと思う。ズームを頻繁に使ったり、なんとも節操のないカメラだが、行儀の悪いダルデンヌ兄弟の手持ちとは違って、どういうわけかちっとも不快にさせない。撮影は誰かと調べたら、アントニオーニの『欲望』や、後にウディ・アレン映画を10本ほど撮ったカルロ・ディ・パルマだった。回想の中で、その説話の文脈を無視してそのまま未来の立場から画面に向って、事件やその背景の証言をする手法などには、別段大した新鮮味も感じないが、イタリア語で、イタリア人が徹底的にいわゆるイタリア的なるものに向ける批判が、鼻につかないレベルで滑稽さを維持する、この脚本と、マストロヤンニとモニカ・ヴィッティジャンカルロ・ジャンニーニの演技がとても好き。同年に、あのつまらない『ひまわり』がつくられていることを考えると、かなり立派な映画と言えるのではないか。

『深く〜』、ロバート・ワイズという人も結構好きだ。『市民ケーン』の編集者にして、2000年に遺作となったテレビ作品の『A Storm in Summer』を撮るに至るまで、60年あまりジャンルを横断して、かなり多彩なフィルモグラフィーを持っている彼は、もう少し顧みられても良いのではないかと思う。『映画の神話学』で、ロケットの発射映像などに見られる縦のパン(ティルト)は高さの印象ではなく遠さの印象を抱かせるに過ぎない、映画は縦の運動に無力である、という趣旨の記述があったが、この潜水艦なんてかなり良い縦の運動を見せている気がする。カメラを仰がせるでなく、並行に据えて、浮上する潜水艦をかなり不気味に捉えている。ヘリコプターほど不自然で暴力的な乗り物はないんじゃあないかと、何となく、思っていたのだが、潜水艦というのは頗る不気味で幽霊的だなとこれを見て思った。

とても有名だから特に何も書かないが、木靴をつくるときのシンクロしていない音が感動的とだけ言っておく。それから、あの川、船の速度、豚の鳴き声、修道院黒衣の花嫁、、雪、トマトなど。農民たちが事あるごとに祈る姿も感動的。脚本と、さらに撮影までエルマンノ・オルミがやっているとは!



この人がロバート・ワイズ