昔日

5時間くらいの睡眠、早くも4月最後の出勤を終える。店が再開したらまた会おうと、思いがけずしんみり、薄暗いフロアを出て散り散りになる。別にみなバリバリ働きたいわけでもなく、感染も恐れているのだが、ぼんやりとした不安を共有し、あるはずのなかった急な連休をどう過ごすか漠然と聞きあってみたりする。

 

そして5月になり、5月を迎えられない人の中に自分の周辺がいないことを祈る。ただ知人たちとまた握手するためそれをする。握手したあと2度と会わないこともあるかもしれない。それでも何度来るかわからぬ再会を願い、また祝うためにせめて自分の見知った顔を思い浮かべ天井に向け挨拶を投げる。それは、家にいろ!と呼びかけることとも、書を捨てよ町へ出よう・・・とつぶやくのとも少し違ったなにか。なにかもっとささやかな、悲しみ。

 

悲しみには果てがある。果ての先には握手が待つ。握手のあとに何者も待っていないとしても、ただ何もない握手のために「悲しみよ、こんにちは」。