持たざるもののために

公園を通り病院へ。GWのため薬の調達ができない懸念から最近かなり量を減らしていたのだが、無事に来月分の処方をいただく。吉祥寺の街は、異様に大きな商業施設が閉じている意外は、人が少し疎らという程度。サンロードはそこそこの人手だが別段ニュースにするほどのことでもない。ほとんどが生活している人なのだから、目くじらを立てることもなかろう。そんなことより政府のカオスぶりをひたすら糾弾することにこそ心血を注がずしていまを伝えるマスメディアの義務を果たしているといえるのか。

 

彼らには政策があっても思想がない。儀式があっても本質がない。ことばがあっても心がない。ポーズがあってもスタイルがない。ないなら追い求めればよいがそれすらしない。「この2週間が山場です」と言いながら7年間、保身に成功してきた。

 

歴史修正が現在進行形で行われている。それが世の常だと諦めるなら、子どもはろくな大人に育つわけもない。社会に幻滅し、ただ生きるために、目の前のこと、現在のことのみを気にして歳を取り死ぬだけだ。「子どもたちのために」何かをしようと言うのであれば、自分たち大人を断罪し、権力の座から引きずりおろす脅威の存在に育てなくてはならない。「恐るべき子供たち」のいない社会に未来はない。