ゾンビ主義

都内の新規感染者が5人だったそうな。世界での罹患者、死亡者はすごいことになっているが、このまま一度収まり、2週間後にまた一気に増加に転じるのかそれとも、夏の間は静まり返り、秋にまた顔を出すのか、季節性のインフルエンザ程度のものになるのか今はまだわからない。

 

映画ではゾンビになるのがいやで大体の懸命な人たちは自殺用に銃弾をひとつ残していたりするのが定番だが、それはゾンビになることの苦痛よりも、ゾンビになってから恋人とか食べたくないなっていうことからくる用意なのだろうか。あるいはゾンビに食いちぎられ、臓器とかもお腹から出されたりする苦痛と恥辱から名誉を守るための銃弾なのだろうか。いずれにせよ、人はゾンビに食べられたくないしゾンビになりたくない。だが、ゾンビたちは案外平気そうで、たまに結構気さくにゾンビライフをエンジョイしている風なのもいる。理性がなくなるのはこわいが本能に身を任せるのは快楽以外のなにものでもないのかもしれない。

 

だとしたら今回のウイルスに限らず、ウイルスに感染するということはそれと大概同じことが言えそうで、とりわけ日本では、人に感染させたくないという理由で政府要請に応えて自粛をした人が多いように思える。上で書いたところの複合からなっている理由ではなるのだろうが、なんとなく迷惑をかけたくない気質は否めない。そして残念なことに、あるいは幸いなことに感染して死ぬ人はゾンビにならずただ死ぬだけである。

 

同時に、面白いことに生き残った人々がまるでゾンビのような生活を強いられるのが今回の騒動の本質だ。それは資本主義社会と大きく関わっており、ちょうどジャームッシュの新作ゾンビ映画がアプローチしてみせたように、もはやゾンビを前にしても適度に抗いつつ、決して自害用の銃弾など用意しない姿勢だ。資本主義はわれわれを生きながらゾンビにすることを強いる社会制度であることが顕著になったということに過ぎない。

 

などということを、運転しながら、目を下にやると自分のTシャツの裾が中途半端にタックインされていたのを見てゾンビっぽいなと連想したのであった。