アンダルシアの犬

二週間失踪していた猫が帰ってきた。市が野良猫を捕獲し去勢/避妊して地域猫にするための捕獲ケージを借り、一度目はアライグマ、二度目は隣人の飼い猫、三度目の正直というやつなのか、今回うちのがかかっていた。一年半ほど前に一度家から飛び出したことがあり、そのときは真冬だったうえに記憶が正しければ一か月ほどは不在だったので絶望的だったのだがそのときも助けてくれたのがこのゲージだった。何でもやってみるものである。というわけで二度同じ手に我が家の猫はかかったわけだが、これも同じようにうちにいる実の子猫たち(成人しているが)からはものすごい不審の目で見られている。未だ、喧嘩しかしていない。これも数日で収まればいいのだが。

 

ともあれ、猫を探し歩く日々は終わり、これがわたしにとっての緊急事態の解除なのかもしれない。

 

最後に映画を2,3本見たいなと思うのと、本を1冊は読まねばね。できれば2冊。そして何でもいいから作品を書こうじゃないか。

 

体調は良くなく、独りでいても人といても急にふさぎ込んでしまい、動悸がする。これは薬を飲めばある程度は改善するのだが、肝心の薬をしっかり処方通り服用しているものだからストックが全然なく、その不安にもまた怯えている。

 

さて、緊急事態宣言だが、25日解除の方向で調整と24日の朝から(23日から言っていた気もする。どうでしたっけ)言っている。日曜日、いつもは日月は少ないんじゃないかと思いつつ、ここ最近では一番多い都内14人の新規感染者、亡くなった方が都内だけで9名。やっぱりおそろしい病気だよ、これ。

 

人の気分の浮き沈みや、一貫性のなさ、初動が遅ければどうなるか、罵詈雑言、等々、とにかくいろんな人が当たり前にいるよねっていうのはあらためて感じましたが、それはわかっていたことだ。今回のかなり深刻な新型のウイルスがパンデミックする事態で、驚かされたという経験が一度もなかったように思う。

 

芸能人や誰それが亡くなったという話はまた別ですよ。

 

いま、かつてないほどにツイッターが殺伐としている。炎上というよりは水を浴びせかけるような言動の応酬だ。これについての簡単な分析あるいは見解はあしたツイッターでやろうと思う。さすがに見ていられないくらいきつくひどい状態になっている。

 

兄が盲腸になって運ばれた。大事には至らなかったとのことだが、激痛だったと。そしてアメリカでは救急車呼ぶのに5万くらいかかるんだとか。保険には入れているようだけど大変だ。

 

ネット礼拝は3か月近くやっているだろうか。皮肉にもネット礼拝になって以来、おそらく一度も欠かさず礼拝を守れている。これは今回素晴らしかったことのひとつだ。生活のリズムは崩れるんだけどね。それでもなお余りある恵よ。今日は、わたしの名前の由来となった個所が読まれていた。「わが魂は、ただもだして神を待つ」「わが望みは神から来るからである」という詩編の一篇だ。クリスチャン的には人事を尽くして天命を待つのではなく天命を得たあと人事を尽くすのだ。だからこんな性格になったのだろうか。