その後

曜日の感覚がなくなってきたね。

 

5月とその後の展望。

 

緊急事態宣言が限定的であれ延長されることがほぼ決定している。

 

国に協力した挙句、力尽きて倒れるか、無気力状態になって自己破産するか(これは責められるべきことではない)、また逆に力のある企業や個人店は生き残るだろう。コロナが人の行動を制限し、地球環境に好影響がある一方、日本やヨーロッパ、アメリカの人たち、つまりは先進国と呼ばれていた国々の人たちの心のなかが荒んできている。結局これが資本主義の終焉の光景なのだろうか。ウイルスが国境をいとも易く侵犯し、人が描いた醜い2次元の線を無視するかのように白地図を同色に染めあげていくさまはある意味で痛快だ。人は時間を時計で、空間を地図に描いた架空の線で区切ってきた。

 

この国で、時間と空間をつなぎ、象徴としてと機能していたのが電車であった。かつてアウシュヴィッツに向かう列車に乗せられたユダヤ人が二度と帰ってこなかったのと裏腹に、われわれの電車は決まった時間に人を運び、そして帰す。それの繰り返し。囚人が乗っているという意味では一緒である。それがいま、壊れようとしている。

 

ただ、それは壊れないだろう。もう後戻りはできないと皆が思い込んでいる。後戻りができないとは元の生活に戻ることを渇望しているということだ。5月の展望は見えない。ただ、その先の見通しは決まっている。

 

ならばどうする。明確な答えなどいらない。ならばどうすると問うことが、残された唯一の希望だ。