信じていること

2ヶ月半ぶりに髪の毛を切りました。それはそれとして。

 

ママキャットの目撃情報をもとに突撃するも別キャットだったときの悲しさったら。さすがに涙をこらえなくてはならなかった。もう会えないかもしれないことを覚悟しなくてはならないのだろうか。元々は野良だったのだ。ひどい荒天の夜、子猫を4匹連れてきたものだから中に入れたが、家にいながらしていつも外を見ていた彼女は、子猫だけ預けて自分は野良生活を続けるつもりだったかもしれない。であるとしたら、やっと手にした自由なのだ。猫とはそういう生き物なのだ。

 

永田町周辺が混乱を極めている。こういうのを狂想曲というのだろうか。耳を疑うようなニュースに、目を覆いたくなるような政策の数々。どこまで本気なのか、何か見据えているのか、どこかに黒幕がいるのか等々、邪推せねばすまないというほどにやることなすこと馬鹿げている。人は、あっけにとられたら「えっ」などとしか言えなくなるものらしい。絶句ってやつですね。人をひとり絶句させたら1ポイントみたいなゲームでも内部で流行っているのだろうか。

 

しかし、コロナ、地震のときとやはり様相が似て来てしまった。ここで都知事選。選挙権を得てから今まで投票を放棄したことはもちろん、白紙投票したこともないが、一体どうすればいいのだ。選挙の度に、もうこんな国なんてどうなってもいいわ、終わった終わったと投げやりになるのに、気がついたらデモなんぞに足を運ぶほどにわたしはこの国に愛着があるのだろうか。いや、たぶんそうではない。ただ、許せない野郎どもに許せないという態度を取らずしてこの世界で自分のなかで均衡を保てなくなっているのだろう。国はもとより滅べばよろしい。ただ、人は少なくとも国なんぞより長く生きる義務がある。それを信じている。人は国なぞに生かされていない。それを信じている。