魔法の手

緊急事態宣言延長を受けて、都でも5月いっぱいの延長決定に追随。職場からは連絡がないが、おそらく5月いっぱい延長。しかし、非正規だとメールアドレスももらえないからこういうとき不便よね。

まあ今後都が、小出しに対応を変えてくる可能性もあるけどがつんと休むつもりで部屋の片づけは今日で終わらせ、そろそろ創作にとりかかろう。このリハビリ期間に明らかに自分は書ける、と自信が戻ってきていることはいいことだ。そして書くことがたくさんあるじゃないかというのはなんでもいいからこうやって書いていないとなかなかすぐに忘れてしまうことらしい。頭ではなく手で思考するタイプ特有の感覚なのかもしれない。ある種スポーツ選手の感覚かと思う。

同時に自分は撮れるとも思えている。さんざんの撮れなさについての自覚を経てのこの気持ちは大切にしたい。

高校生の頃、すべて知ってしまうことが怖かった。オリジナリティというものを見失うのではないかとこわかった。だから無知でいることをまるでヴァージンを必死で守るように、頑なに知識から目を逸らした。知の童貞はあらゆる意味で何ら守る意味のないことだった。そのせいでだいぶん出遅れたかもしれない。ただ、生まれ持っての自分にしか備わっていない文才があるのだとの確信は昔も今も変わらない。

 

頭がいいという話ではない。ただ、手がいいのだ。書くのに頭はいらない。頭は読むために使う。見るのに頭の良さはいらない。目がよければ見える。分析は頭がする。魔法をかけるのは手、かかるのは頭だ。それがわかった。