マスク対決とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、そして芥川龍之介

本日は都内189人の新規陽性患者との発表。こうやって毎日、イチローの打ったヒットがかつて数えられていたように数えられていくのが日常になりつつあります。1週間後に見直したらこのときはまだこんなものだったかと、感想を漏らすかもしれない。

 

COVID-19に関しては政府はある程度もう6月の紫外線に国民の命を預けているのかもしれない。「スピード感」どころか時間稼ぎにすら見える杜撰さ。都知事に関しては、決して信用することはないだろうが、知事選のタイミング的にも政治的資質と打算がマッチし、政府をある程度かませ犬にしても問題ないどころか世論的には、主役にすらなれるという判断が根っこには確実にある。それが意識的であるか無意識なものであるかはさておいても、両手で歓迎すべきものではない。

 

都知事が会見で仕掛けたマスク対決(ハートマークのドット柄vs給食当番)において、テレビというリングのなかで小池は安倍に圧勝したし、希望すれば次の都知事選も圧勝、要請があれば総裁選も、との声まであがるまでになった。ほんの数日の駆引。

 

本来、国民はここで適度の毒をもってこの人を制さないといけない。決して総理にしてはいけない人物であることは間違いない。

 

と、家に引きこもっていると、外の世界の脅威など忘れてしまう。平気な顔でNYの特設墓地に捨てられるように棺が並べられていく様を見て、やっぱり火葬ってしないもんなんだって感想程度しか浮かばない。『アマデウス』みたいだと思わず呟いた父のほうがまだだいぶんまともであった。

 

 

一日中、自分が働く職場は、要請の対象になるのかならないのか、なったら要請に従うだろうが、ならなければ自粛するのか、そうしたら雇用スタイルはどうなっていくのか、給料は?国からの補償は?と金の計算ばかりをしていた。こんなことではだめだ。

 

服を売ろうと思う。そして補助をしていこうと思う。今月は生き抜ける。来月はきっと大丈夫。その次はまだ藪の中。

 

今こそ中井久夫を読もうかなあ。